岩手県東日本大震災津波追悼式
こんにちは。3月11日(月)、盛岡市のトーサイクラシックホール岩手
(岩手県民会館)で開催された「岩手県東日本大震災津波追悼式」において、本校2年生の渡邊翔真君が、「未来へのメッセージ」を読み上げました。
岩手県の追悼式は、これまで沿岸の自治体と合同で実施されていましたが、今年は内陸の盛岡市で開催されました。国歌斉唱、黙とう、知事による式辞、来賓による追悼の辞に続いて、渡邊君により、「未来へのメッセージ」が読み上げられました。
メッセージの内容は以下の通りです。
東日本大震災、そして日本各地で相次ぐ災害でかけがえのない命を亡くされた方々に、哀悼の意を表します。
2011年3月、4歳の私は、大きな揺れと鳴り響くサイレン、そして周囲の緊迫した雰囲気に怯えていました。いつも見ていたきれいな海、慣れ親しんだ町の、変わり果てた姿に恐怖と不安を感じていたことをはっきりと覚えています。いま、能登半島地震の大きな被害の報道を聞くにつけ、その中に、あの頃の私のように過ごしている人たちがいるのだと想像するだけで胸がつぶれる思いです。
震災当時、私は本当に幼く、ただ不安を感じるだけの毎日でした。震災後のふるさとは、国内外からの支援をうけ、また地域の方々の途方もない努力によって、刻一刻と姿を変え、道路も防潮堤も、そして町並みも、復旧・復興が進みました。その変化の中で私がずっと抱えてきたのは、この町のために自分に何ができるのか、というぼんやりとした問いでした。
高田高校に入り、復興や防災についてフィールドワークを行い、町の方々から多くのことを教えていただきました。本当は思い出すのもつらい記憶もあるかもしれません。その中で言葉を選びながら語ってくれたことの中で私の心を強く打ったのは、「昔の町に戻すのではなく、あなたたち若い世代が生きる未来のために、新しい町をつくりたい」という熱意でした。「震災前の町で過ごした忘れ難い思い出はあるけれど、未来を生きる次の世代のために、もっと住みよい、そして災害にも強い町づくりをしなければならない」そんな町の方々の思いによって、陸前高田市のかさ上げされた町の中心部に、ショッピングモール「アバッセたかた」が作られました。「アバッセ」とは土地の言葉で「一緒に行こう」という意味。人々がたくさん集うことを願った名前です。津波で全てを失った跡地に、人と人とのつながりを目指した「アバッセ」を作り上げた町の人々のたくましさを誇りに思います。そして、そこに住む人々の力だけでは乗り越えることのできない脅威である災害に備えるためにも、この人と人とのつながりを日本各地や世界に広げていく必要があることも分かりました。
高校での復興や防災の活動を経験して、私はふるさとがもっと好きになりました。そして、この愛する町で震災に負けず生きる人々の、苦労や努力を、見て、聞いて、伝えていくことが、この町の復興に繋がるのではないか、と考えるようになりました。被災した当時、私はとても幼かった、復旧・復興には直接携われなかった。けれど、この町で、人々とつながりながら生きることが、地域の復興、そして未来に繋がっていくということを、町の方々から教わりました。
いま私が目標として掲げていることは、同じ沿岸地域、気仙地区の若者たちともっと繋がることです。震災を知る最後の世代である私たちが、小学生に私たちの体験を語る、同じ地区の高校生と協力して生徒会の活動を展開していくなど、今までの枠組みにとらわれず、新しい取り組みにチャレンジしていきたいです。そうやって私たちが力を合わせて前を向き進んでいくことが、復旧・復興、そして新しい町づくりに繋がるということを、被災地域から発信していきたいと思います。
令和6年3月11日
岩手県立高田高等学校2年 渡邊 翔真