宮澤賢治詩碑、海の三訓
こんにちは。以前「甲子園の1イニングの貸しがある」にて石碑が復元された話を書きました。実は、その際に復元された石碑が他に2つあり、今回はその話を書きます。
3つの石碑は、共に創立90周年記念事業において、義援金により復元されたものです。
最初に宮澤賢治詩碑についてです。昭和45年、本校創立40周年記念式典の際に来校された谷川徹三氏(谷川俊太郎氏の父)の書で、宮澤賢治の「農民芸術概論綱要」の一節が刻まれています。谷川氏は、哲学者で宮澤賢治を広く紹介した人物としても有名でした。当時校長の鈴木實氏が東北砕石工場で賢治と一緒に仕事をしていた鈴木東蔵工場長の長男であるという縁もあって、宮澤清六氏から本校に寄付を頂いたことがきっかけとなっております。石碑は昭和47年に建立。
震災により、はめ込まれていた銅板は流されましたが、谷川徹三氏が揮毫した原文が本校図書室でみつかりました。群馬県渋川市の伊香保温泉プロジェクトの方々より、この石碑の復元のために寄付を頂き、盛岡大学による地道な修復作業によって銅板を復元することができました。
銅版には以下の「農民芸術概論綱要」の一節が書かれています。
まづもろともに
かがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう
もう一つの石碑は、「海の三訓といかり」(昭和61年建立)です。
三訓とは、高田高校と統合した広田水産高校の第7代、9代校長の花岡弘氏が示したものです。
海をおそれず 海をあなどらず 海にさからわず
校訓にかわるものとして、広田水産高校の学校要覧等にも掲載されていました。